2017.04.05

孫正義vs三木谷浩史 男の6番勝負 最強起業家対決 ―前編―

BTCA 編集部

現在創業35年にして時価総額10兆円を視野に猛進するソフトバンクと、創業19年にして時価総額2.5兆円、ソフトバンクを追う規模まで成長をしている楽天。

規模こそソフトバンクが優位だが、これらの2社は同じ情報通信、インターネット業界において直接対決する機会が多いだろう。ソフトバンク創業者孫正義、楽天創業者三木谷浩史―両者ともに現代日本を代表する最強起業家と言っても過言ではない。では、どちらが最強の名を冠するのにふさわしいのか―今回は6つの観点から彼らを比較してみよう。

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【学歴編】高校生でアメリカに渡った孫正義、ハーバードMBAの三木谷

まず、孫正義と三木谷浩史の経歴面での共通点は、「アメリカ留学経験がある」ということである。福岡の名門高校久留米大附設高校を中退してアメリカに渡り、カリフォルニア大学バークレー校学んだ孫正義。対して、一橋大学から日本興業銀行に入社し、会社留学でハーバードMBAを獲得したバリバリのエスタブリッシュメントの三木谷。彼らの経歴について、少し詳しく見てみよう。

<型破りの秀才、孫正義>

孫正義は1957年、佐賀県鳥栖市の朝鮮人集落で生まれた。孫の祖父母は、朝鮮から漁船の底に潜り込んで日本に密入国し、線路脇の国鉄の空き地に、トタン屋根に板を貼って作った家に住んでいた。そのため、孫の戸籍では「無番地」と記載されていたと言う。このようなバックグラウンドもあり、孫は豚や羊などの家畜と生活をともにするなど、貧しく不衛生な環境で育ち、朝鮮人であることへの有形無形の差別を受けながら幼少期を過ごす。

その後、実業家の父・三憲が密造酒の製造販売やパチンコ業で成功し、高級車を何台も所有するほど裕福な時期もあったが、その父が吐血をして入院する自体になった。そのような一家の危機を迎えたとき、孫は事業家として家族を支えることを志すようになるが、ほぼ同時期に司馬遼太郎著「竜馬がゆく」を読む。坂本龍馬の脱藩に憧れ、家族全員の反対を押し切り、当時通っていた福岡県の名門校・久留米大附設高校を中退し、アメリカに渡ることを決意した。

孫は高校2年生のころ、サンフランシスコセラモンテ高等学校の2年生に編入。この頃の孫はまさに「勉強の鬼」。日本にいる家族が苦しんでいる中で、1分1秒も無駄にできないと感じ、道を歩く時も風呂の中でも食事をする時でも、寝ている時の数時間以外は全て勉強する生活を送っていた。

その努力が功を奏し、3年生と4年生を飛び級する。教科書の内容は全て理解できると校長に主張し、大学認定試験を受験することになるが、「日本語ならば全部解ける」と州知事に電話で抗議し、試験中に辞書の貸出と時間延長の許可をもらうなど特例でホーリー・ネームズ・カレッジに入学。そして、1977年にアメリカの超名門・カリフォルニア大学バークレー校経済学部の3年生に編入、1979年卒業。

<バリバリエスタブリッシュメントの三木谷浩史>

1965年、神戸市で生まれる。父親は大学教授で、7歳のときに父親がイェール大学研究員に就任したため、家族で渡米し、2年余り過ごす。帰国後明石市の小学校に転入し、1977年、岡山県の岡山白陵中学校に入学、実家から離れ寮生活を送る。しかし、スパルタ教育によってノイローゼにかかり、中学2年生で実家に戻る。

中学卒業後、兵庫県立明石高等学校入学し、一度大学受験に失敗して浪人生活を送ることになる。翌1984年、 一橋大学商学部入学。

1988年、一橋大学を卒業し、日本興業銀行(現・みずほ銀行)に入行。名古屋支店を経て、本店外国為替部配属。

1991年同期で初めてハーバード大学に留学し、2年後、1993年にMBA取得する。周りのアメリカの学生は、起業をして社会に大きな貢献をしたいという夢を語っている傍ら、銀行で出世がしたいと語ること自分を恥ずかしいと感じるようになり、このアメリカでの生活を経て初めて起業家への夢が芽生えることとなる。

生まれも育ちも恵まれ、日本の伝統的なエリート街道を突っ走ってきた三木谷浩史だが、就職後の留学で起業の面白さを知ることになる。一方で、孫正義は家族を支えるために、徒手空拳で日本から乗り込んで超名門大学の学部に編入し、その型破りの優秀さで自らの道を切り開いた。

▼まとめ

学歴は出世コースを歩む上では重要な位置づけを担うかもしれない。しかし、その古臭い価値観が、起業家を目指すという大きな可能性を見えなくさせているとも考えられる。起業家を目指すきっかけとなったのは、孫の場合は思春期の出来事であり、三木谷の場合は留学だったのである。

【参謀比較】脇を固める参謀の顔ぶれ。人材が分厚いのはどちら?

<三木谷と孫正義両方に仕えた小澤隆生>

三木谷vs孫の構造で外せないのが小澤隆生の存在だ。

小澤は早稲田大学を卒業後、CSKに入社するが、同時にボランティアでインターネット上の中古品マーケットプレイスを開発し、運用していた。CSK退社後、これを事業化し、ビズシークを創業。「ネット上で、買い手が欲しい商品と買いたい値段を提示し、それに対して出品者が反応して取引を行う」という、当時では画期的なリバースオークションを利用したビジネスモデルを構築し、さらにユーザーのサイト内での行動を解析するマーケティング手法を確立した。

そして2年後、ビズシークを楽天に売却し、役員としてオークションを担当していたが、その後楽天イーグルス立ち上げ担当として楽天野球団取締役事業本部長に就任。当然、球団の作り方など全く知らない状況から、手探りで球団の立ち上げを行った。楽天イーグルス1年目の成績は、38勝97敗11分。当時パ・リーグの他の球団は全て赤字であるのにもかかわらず、売上70億円、2億円の黒字という結果を残した。

2006年楽天を退職し、エンジェル投資家として活動を始めた。その成功事例としてnanapiなどが挙げられる。その後、2011年に設立したクロコスを2012年にヤフーに売却し、ヤフーグループの一役員となるとともに、ヤフーショッピングの出店無料化に関わる。孫も本腰を入れていると考えられる本プロジェクトだが、そのプロジェクトの筆頭に実績が豊富な小澤がいるため、この「EC革命」からは目を離せない。

このように、かつて三木谷に仕え、楽天イーグルス立ち上げに関わるという重大な役割を果たした小澤が、今度は最大のライバル・孫のもとでEC革命を起こそうとしているのだ。

<銀行マンが参謀だった 楽天・國重 ソフトバンク・笠井和彦、後藤常務>

楽天三木谷の右腕といえば、かつての楽天のNo.2―國重淳史が有名だ。國重も三木谷顔負けのバリバリのエスタブリッシュメント―エリート街道まっしぐらの人間である。

國重は1968年、東京大学を卒業した後、住友銀行(現在の三井住友銀行)に入行。8年目で企画部に配属され、MOF担(大蔵省担当)というエリート中のエリートのポストを獲得。そのMOF担を10年勤め上げた後、郵政公社民営化後の初代社長の西川善文前頭取が務めたことのある枢要ポストともいえる、丸の内支店長になった。また、國重は磯田一郎元会長の秘書と結婚し、社内ヒエラルキーが厳格な銀行社会においてその意味合いは大きく、「将来の頭取」とまでまことしやかにささやかれていた。

ところが順風満帆な國重のキャリアに突然影がさす。まずは1990年に住友銀行の信頼が失墜したともいえるイトマン事件の責任を取って磯田会長が辞任し、國重は大きな後ろ盾を失うことになる。この段階では、磯田氏の息がかかった人々が次々と頭取の座に上り詰め、國重自身も48歳の若さで取締役に抜擢されるなど、今後の出世の可能性も残していた。しかし、1998年、大蔵省を舞台にした過剰接待疑惑が持ち上がり、「ノーパンしゃぶしゃぶ接待」など銀行とエリート官僚の癒着ぶりが暴露され、日本中の注目を浴びる事件となった。住友銀行を含む多くの銀行はMOF担を廃止し、これまでエリート街道を進んでいた多くのMOF担が出世コースを外されたのだった。

その後、國重は銀行でのキャリアを取締役本店支配人東京駐在で終え、住友キャピタル証券の副社長に転出。その後、DLJディレクトSFG証券の社長となり、同社を楽天が買収し、2003年、楽天グループに参画することになる。ここまでキャリアが暗転してしまった國重だが、楽天グループ参画後、国内M&Aに関わるなど、三木谷の右腕としてその実力を発揮してきた。日本興業銀行出身の三木谷からすれば、自分よりも遥かに格上のバンカーが自分の右腕として扱っていたのだ。しかし、その國重は女性スキャンダルを堺に楽天を去っている。

一方、ソフトバンクも優秀な銀行マン参謀を抱えている。まずは「軍師」と呼ばれていた、富士銀行(現在のみずほ銀行)出身の笠井和彦だ。笠井は銀行界では為替の神様と言われるほどの手腕を持ち、ソフトバンクの大規模M&Aに大きく貢献した。笠井が率いる為替ディーリング部隊が、富士銀行の利益の大半を稼ぐなどの実績を積み上げた。その実力も認められ、笠井自身は香川大学出身だったのだが、東大閥が幅を利かせている富士銀行の副頭取、安田信託銀行会長を務め上げた。その後、ソフトバンク孫に共鳴し、誘いを受け入れたのだ。

先にも述べたが、ソフトバンクは2000年以降、日本テレコム、ボーダフォン、スプリント・ネクステルなどの巨額買収を行ったが、笠井はその手腕を発揮し、銀行団をまとめた。株式市場から資金を調達すると株価に作用されリスクが高くなるため、時価発行での増資や社債で資金を調達することも避けた。スプリント・ネクステル買収の際では、米国政府の認可が出る前の2012年秋に、笠井は買収資金の為替を予約。「絶対に円安が進む」と断言し、2013年1月の買収発表時点で2000億円程度の為替差益が出ると見立てて1ドル82円20銭で買収資金を集めた。結果、予想以上に円安が進み、3000億円の為替差益をもたらすなどの実績を残しているのだ。その笠井は2013年に亡くなっており、孫が男泣きを見せるなど、笠井の実力や人望の厚さを伺うことができるだろう。

また、ソフトバンクが抱える後藤芳光も同じく銀行出身の参謀だ。後藤は一橋大学社会学部卒業後、安田信託銀行(現みずほ信託銀行)入行。2000年からソフトバンク財務部長を務め、笠井と共にスプリント・ネクステルの買収に関わるなど、ソフトバンクに大きな貢献をしている。

<元リクルートも参謀 楽天・島田亨 ソフトバンク・青野史寛>

楽天もソフトバンクも、リクルート出身の優秀な参謀を抱えている。楽天の島田亨とソフトバンクの青野史寛だ。

島田はリクルートに入社した2年後に、宇野康秀、蒲田和彦、前田徹也らと共にインテリジェンスを創業し、リクルートを退社した。インテリジェン上場から1年後、副社長を退任し、シーホールディングス、日光堂の代表取締役を務めた後、2004年に楽天野球団代表取締役社長に就任し、2012年に退任している。

一方青野はリクルート入社後、約20年人事に関する仕事に携わり、2005年にソフトバンクに入社した。ソフトバンク入社後すぐに日本テレコムの取締役に就任し、ボーダフォンの常務執行役員を務めた後、ソフトバンクグループの取締役、ソフトバンクモバイルの常務執行役員、ソフトバンクBBの常務執行役員を務める。

(※画像引用:ハフィントンポスト, ライブドアニューズ

▼まとめ

ソフトバンクも楽天も優秀な人材が集まり、それぞれのビジネス成功にコミットしている。特に超トップ層ともいえるバンカー、國重(楽天)と笠井(ソフトバンク)は両者ともそれぞれの会社を支え、事業の成功に大きな貢献を残した参謀といえよう。
しかし、楽天では國重は女性スキャンダルが原因で退任し、ソフトバンクでは財務責任者の北尾(後述)と孫が対立するなど、両者ともに人材マネジメントが必ずしも徹底できているわけでもないようだ。

 

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